渋沢栄一の経済思想:日本経済学新論(中野剛志)より

書評
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中野剛志氏による日本経済学新論を読んでみました。

450ページ近くもある大著の読書感想文を、たかだか2500文字ぐらいにまとめることは、私の文章力ではなかなかできることではありません。

なので、この本で著者が一番ページ数を割いた渋沢栄一の経済観について、まとめることができたらと思います。

2024年に1万円札の顔となる渋沢栄一の経済思想について知っておけば、1万円の日本銀行券に歴史的な重みを感じることができるのではないでしょうか。

この記事では、中野氏が渋沢栄一の経済観をどのように評価しているのかを下記の点に沿って書いていきます。

  1. 論語と算盤による国民統合
  2. 政治哲学
  3. 市場経済

もちろんこれだけでこの本すべてをカバーできるわけではないので、日本経済の系譜についてじっくり学びたいというのであれば、購入することをお勧めします。

論語と算盤による国民統合

いきなりすごいのが出てきましたが、渋沢栄一のことを少しでも勉強した、興味を持ったことのある方なら、この渋沢栄一が書いた「論語と算盤」という著書を知っているでしょう。

自分も名前は知っていましたが、特に読んだことはなかったので内容までは、よくわからなかったのです。

しかし、中野氏の視点からこの「論語と算盤」に込められた意味を読むことで、当時弱小国であった日本を世界に名だたる国にするため、渋沢が何をするべきかを熟慮し、行動した結果の「論語と算盤」なのだということを知ることができます。

論語の民主化

当時の論語は、聖人君子を目指すための高尚な学問とされ朱子学派が隆盛を極め、一般の国民がそう簡単に学ぶことができない学問であり支配階級のみに独占されたものでした。

しかし渋沢は、論語は本来すべての人に開かれた民主的な模範であることを強調し、農工商という被支配階級も積極的に論語に触れ、学ぶべきことを強調した。

その結果起きたのが論語の民主化といえるものであったのです。

つまり論語が説く経世論が士農工商すべての階級に分け隔てなく広がるということは、世を救うための政治言語が広く一般に共有されることにつながります。

人々が国民(ネイション)というになるために必要なもの、それは土着の言語でありそれを共有してこその国民(ネイション)ということになる。

よって、論語という政治言語をもとにして国民が土着の言語、つまり日本語を通じて政治を論じ始めることで、真の国民国家が出来上がったのでした。

渋沢は「論語と算盤」の中に、民主化と国民建設の構想を込めていたと中野氏は述べている。

政治哲学

渋沢の政治哲学とは何かについての理解するときに、知っておく必要があるのが「客観的人生観」と「主観的人生観」です。

客観的人生観とは、国家または社会があっての自分があるということを自覚することであり、主観的人生観とはいわゆる西洋的な「個人主義」という理解でいいと思います。

渋沢自身の社会思想とは、若かりし頃に学んだ、人間を社会的存在とみなす水戸学がもとになった客観的人生観といえるでしょう。

しかし、渋沢が理想とした国民のあり方とは、滅私奉公のような自己を殺して組織のためにとか、それとは真逆の極端な個人主義ではありません。

国家の一員である独立した国民が様々な場面で活躍することでナショナリズムが醸成され、国家への帰属意識という基準を設けることで、人民の政治参加を実現することができるのです。

自己実現とは

人間は社会的存在です。

家族、社会、国家という社会的集団の内部に自らを位置づけることで、その存在を認識しかつ認識されているのです。

つまり原子核のように社会的から分断されてしまえば、個自身も存在しなくなる。

個人という存在は社会があって初めて成り立つのであり、その社会において自己を実現させるということはつまり、自己の内にある自己をこえた目的、つまり社会的な善を実現させること。

別の言葉で言えば、社会において自分自身の位置を確立するための義務を遂行する行為であり渋沢は「国民の本分を尽くす」という言葉を使って「国民の権利と義務」に結び付けている。

 

市場経済

市場経済とはすなわちすべての経済はつながっていて、かつそのつながりこそが全体の大きな経済を構成するものであり、新自由主義または主流派経済学派が唱える市場経済とは別物ということは理解しておくべきでしょう。

ちなみに新自由主義または主流派経済学派が唱える市場とは、最少単位まで切り離された個人が自己利益を最大化するために合理的に行動した結果、自動的に均衡されるといういわば戯言であるといっていいでしょう。

もちろん渋沢が理想とした市場経済は、経済的なつながりが構成する大きな経済であることは疑いの余地がありません。

保護主義

当時世界最大の新興国家であったアメリカは超が付くほどの保護主義国でしたが、日本においても同様な処置をとるべきかということについて渋沢は、極端な保護主義をとることについて配慮が必要よ考えていたようです。

国力の違いから日本がアメリカのような保護主義政策をとることはできない。

しかし、国内の産業育成のためには品目や分野を絞って保護主義を運用する必要があるとの考えていたのです。

また保護主義が過ぎれば、国内産業の育成に弊害をもたらすことも熟知していたのです。

まとめ

日本経済学新論は、ボリュームがあり気になった箇所すべてを書きしるしていれば、どれだけ長い文章になってしまうのかということもありました。

そのため、本書において最もページを割いて書かれている渋沢栄一の経済観ついての部分のみ評価してみました。

渋沢栄一のほかにも、高橋是清、岸信介など日本経済を牽引した人物の経済思想と実践について詳細に研究されている本です。

これらの人物は、経済運営を実践することで経世在民を達成しようとした政治家や商業人であり、新自由主義に見る切り離された個人の経済ではなく、国家に生きる国民一人一人がつながることで構成される大きな市場経済を見ていたといえるでしょう。

国民は、国という社会的共同体になかでこそ個を確立できる存在であるということが、昨今忘れられがちなっています。

自己責任論を振りかざし、個人を社会から切り離すことで個人という存在を抹殺してしまうような風潮がありますが、今一度、個人と共同体のあり方、つまり国民と国家のあり方を経済という面から考えてみるヒントになるのではないでしょうか。

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