食料自給率が低すぎて、もし海外で何かがあったらたちまち今の食生活を維持できなくなる状況を抱えた日本。
普通に考えればそれが危険なことだと分かるはずなのですが、それを放置し続けているのは何か理由があるのでしょうか。
大きな疑問ですね。
そこで、この記事ではなぜ食料自給率が低い日本が有効な手を打たないのかについて、以下の点に沿って書いてみたいと思います。
- 農業では食っていけない
- 食料戦略の欠如
- 国家観の欠如
農業では食っていけない?
実際に農業で収入を得ている方々の年収平均は約300万円程度結果が、農業情報専門サイトアグリナビが行ったアンケート調査で出ています。
年収300万円ということは、月収換算で額面25万ぐらいということになるでしょうか。
しかしこれは平均年収なので、これよりももちろん高い人もいれば年収100万円という方もいるでしょう。
つまり、営農しているすべての人が、生活をしていけるだけの収入を稼ぐことはできていない、ということなんですね。
収入を伸ばすことができない理由は、利益率、収量、販売先の選定ができていないことが大きな原因かもしれません。
大規模農園は別として、基本的に農業は個人事業主なので各自でその地域に合った利益率の高い作物は何かを選定し、作っていく必要があります。
この選定を誤ると、薄利多売をしない限り必要な利益を得ることができなくなってしまいますね。
そして、新規就農者とベテラン就農者の間には大きな経験の差があり、ベテランが10作れる作物でも新規就農者は7しか作れなかったりするのです。
利益率が高い作物を作っていればいいのですが、薄利多売で利益を出す作物の場合、収量が落ちるのは致命的ですね。
そして、経験の差以外にも収穫が天候に左右されるのでベテラン農家でさえも収量が上がらない年もあるのはお分かりですよね。
そして販売先ですが、手っ取り早く作物を現金化できるのはJAへの出荷ですが、利益は薄いといわれていますね。
そこで、JA以外の出荷先を探す必要があるわけですが、日々の農作業を行いそのうえで営業活動をするのは簡単なことではありません。
つまりつてのない新規農家ほど、販路を広げる営業活動をすることが難しくなります。
食料戦略の欠如
つまり、新規、ベテランにかかわらず、営農者にとって現実はかなり厳しいですが、ベテランの農業人口も加齢とともに年々減少している。
つまり、日本の食料自給率は今よりもさらに減少に向かっているということなんですね。
ということは、いかに新規就農者を増やしていくかを国としての食料戦略の柱の一つとする必要があるのではないでしょうか。
しかし、現実には新規就農者の35%が4年以内に離農しているのです。
しかもこの35%は一部の都道府県において就農研修を受けた方の離農率ですので、現実にはもっと多いかもしれません。
離農する主な原因はというと、やはり投資とリターンが釣り合わないということが多いようですね。
農業経営を行うためには、初期投資と経費、そして長時間労働をしなければ成り立たないのですが、必ずしもそれに見合った稼ぎができるとは限らないということです。
離農を防ぐための様々な補助金や、初期投資に費用を無利子で借りることができる制度などはあるのですが、それでも農業人口を増やすことができないでいる。
そんな状況であるならば、新規そしてベテラン営農者の生活を安定させることで安心して営農してもらい食料自給率を引き上げる政策をとるべきですが現実は真逆です。
農業競争力強化支援法や種子法、種苗法などの農業ビジネスの競争激化法によって、農業を国民に安定した食料を供給する機関ではなく、市場原理に支配された金儲けのためのツールのようにしてしまっているのではないでしょうか。
国家観の欠如
国民に食料を安定供給するべき農業を、金儲けのためのツールに変容してしまおうという、政策の背景にあるのは、市場原理主義に基づいた国家観の欠如といえるのではないでしょうか。
市場が評価しない、つまり競争力がない農家は淘汰されるということを前提に作られた感が強いのが農業競争力強化支援法です。
しかし、そもそも農業に競争力の強化は必要があるのでしょうか?
農業からの離農状況を見るに今の農業に必要なのは、収入の安定と長時間労働からの解放、そして流通量の拡大でしょう。
これらを満たすには、海外のように農家が安定して食料供給を行うことができるような営農補助金と、労働時間の短縮につながる農業機器及び技術の開発、そして、国産食料品消費促進クーポンなどによる国産国消を推進させることが必要でしょう。
しかし農業に市場原理競争の原理を持ち込めば、個々の農業経営体が競争により目先の利益を追い求めることは確実であり、利益にならないこと、つまり食料の安定供給に努めることはしなくなるのは確実です。
結果的に、農業そのものが日本という共同体から切り離され、孤立しついには死に至るのではないかと考えるのです。
農業を、日本という共同体の一部として同じ日本人を飢えさせないという理念をもって、営農できるように支援するのが、国として役目ではないでしょうか。
しかしわれわれ日本人は、大東亜戦争の敗戦以来自分たちの存在を国という共同体を構成する一員として考えることを否定され、個々に分断された個人であるように教育されてきました。
そのために共同体から切り離され、自己責任だけが強調された世界の中で生きていかなければいけないと錯覚している個人が大量に生み出されたのです。
その結果、食料自給率の低下という大問題に直面しても共同体から切り離された個人としてしか物事を見ることができなくなってしまっているのではないでしょうか。
つまり自分に問題がなければ関係がないというように。
しかし、それでは遅すぎると考えるのは自分だけでしょうか?
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